インプレッサの進化&WRC|インプレッサ改造車買取日記

■GC中期D・E<WRC1996~1997>

■GC中期D・E<WRC1996~1997>

■GC中期D・E<WRC1996~1997> 1996年シーズンはインプレッサグループAでのWRC参戦最後の年となった。カルロス・サインツがトヨタに移籍したことにより、ドライバーの布陣はコリン・マクレー、ケネス・エリクソン、ピエロ・リアッティ。熟成の域に達していたインプレッサグループAでマクレーが3勝を挙げ、ドライバーズタイトルは逃したものの、2年連続でマニュファクチャラータイトルを獲得した。

 そして、WRカー規定導入の初年度となる1997年シーズン。第1戦モンテカルロでは2ドアのワイドボディとなったインプレッサWRCがデビューする。グループA時代より明るくなったブルーのボディカラーは、今に続くWRブルーの始まりである。

 この最初のWRカーは、海外輸出向けのボディであったリトナというグレードの2ドアをベースにし、さらに当時のWRカー規定最大値である1770mmまで前後フェンダー&バンパーを広げていた。市販車のボディから80mmものトレッド拡幅である。エンジン関係もインタークーラーが前置きとなり、ライバルと同等の出力を発揮することができるようになった。しかしながら、外観上のボンネットエアスクープは市販車イメージを保つためにもそのまま残された。その他サスペンションやトランスミッションなどはグループAのときと基本的に同様のものをWRカーに適応させ使用した。

 ドライバーはマクレーをエースとし、エリクソンとリアッティがイベントごとにノミネートする前年を踏襲した布陣である。こうした体制で臨んだ1997年シーズンは14戦中8戦でスバルが優勝し、マニュファクチャラーズタイトルを防衛。しかしそのうち5勝を挙げたマクレーは、僅か1ポイント差でミツビシのトミ・マキネンにドライバーズタイトルを奪われてしまう。